あんとパン

あんとかパンとか。

自分の中の「子ども」を知る『自分のなんで実験室』

『自分のなんで実験室』展に家族で行ってきた。

http://nande-jikken.jimdo.com/

会期は1月18日(日)まで。現代アートと幼児教育の視点を織り込んだ展示であり、幼児から大人まで自分の「なんで」を手探りできる展示だ。

会場は、四谷三丁目 ランプ坂ギャラリー。
70年の間、四谷第四小学校だったところだ。幼稚園併設であったことから、建物の入口には園庭のようなスペースがあり、幼児向けの遊具が置かれている。

この建物には「東京おもちゃ美術館」も入居し、入口に設けられたベビーカー置き場には、20台近いベビーカーが並んでいる。多くの子どもたちに受け入れられている場所であることが伝わってくる。

 

そんなロケーションの地階に「自分のなんで実験室」がある。下駄箱の前で靴を脱いで地階の会場へ。地階であるけれど、坂の途中にある建物なので、日当たりがよくて明るい。

1歳半の娘は床に寝転がって遊ぶ。そこであらためて気づく、これ、小学校の床だ。
かつて小学校だった痕跡、床に散らばったいろんな大きさの傷、いく度となくワックスが塗り重ねられたであろう年輪のある艶がこの床にはある。懐かしさのあまり、思わずわたしも寝転がって頬ずりしたくなった。

白い壁には、展示内容を示す「作品レシピ」のパネルが貼られており、その近くに展示品があるのだが、作品レシピのほうが展示品らしく見える展示品たちだ。

鍋のふただったり、トイレットペーパーであったり、クリップだったり、誰かが書き込んだ付箋であったり。

娘は動く。わたしにレシピを読む時間を与えてくれない。そんな娘を追って展示室を移動する。

壁から繋がれているクリップをつかむ、クレパスのようなもので板や紙にお絵かき、粘土を放り投げる、トイレットペーパーを引き出す、聴診器のにおいを嗅ぐ。

その行為のすべてが作品の破壊や独占にあたらず、作品に関わる行為として許され、娘の加えた行為が、次の誰かへと引き継がれる。
紙コップを踏む作品のところにいたスタッフは
「踏まれた紙コップは、シワや凹みがみんな異なっていて、一つとして同じものは無いんです」
と言う。それを手にしながら踏まない娘もまた許され、スタッフの方々の見守りの中、どこかに置いてあった木工用ボンドを握って走り出す……。

 

障子に穴を空ける作品がある。来場者は水で濡らした指をつかって、自由に穴を空けることができる。誰かが指で作った穴が無数にある。今はまだ途中で、これからも多くの人が関わり穴が空くことを予感させる。
人が通り過ぎた痕跡があるから、天井からぶら下がり誰かに穴を開けられるのを待っている障子と障子紙であるだけなのに、ぬくもりを感じた。自分で穴を空けたら、なつかしさも感じるようになった。

足元には小学校の床がある。多くの子どもたちが通り過ぎていった時間、このスペース自体が作品に関与しているようにも感じる。

 

結局、娘を見守ることに追われ、最後までレシピを読み込むことはできなかった。

だけれど、作品を完成させるプロセスを楽しむこの展示は、作品の目的がわからなくても楽しめる。パネルを読むことができない娘も、充分楽しんでいた。


入り口で渡された冊子に「大人への挑戦状でもあります。」と書いてあった。挑戦は受けてたったけれど、わたしはどんなアクションをしたのだろう。自分のやりたいように動き作品と関わる娘を見守っていたことが、応えの一つだったと思いたい。

 

会期中時間があったら、あらためて1人で訪れたいと思う。
レシピをしっかり読んでから作品と向き合い「なんで」を探りたい。
1歳半の娘の関わり方と比べたい。わたし個人はこんな関わり方をする。それを確かめてみたい。